Christmas 2009 [日々の日記]
タイ旅行記の途中ではありますが……。
もうすぐクリスマスです。
12月25日のクリスマス(Christmas)は、Christis=「キリスト」の、mas=「ミサ(お祝いの意もあり)」、という意味で、キリストの生誕祭です。
しかし、夜寒く、羊が食む草も生えない冬のイスラエルでは、羊を放牧する習慣がないそうで、少なくともイエス・キリストが生まれたのは12月ではないはず、というのが定説になっているそうです。
それではなぜ、12月25日に生誕祭を行うようになったのでしょう。
理由は諸説あるそうなのですが…。
初期キリスト教会の中心は、エルサレムから使徒ペトロが殉教したローマへと移っていました。当時激しい迫害を受けていたキリスト教徒は、文字通り地下に潜って信仰を保っていました。何かのお祝いをおおっぴらにするなんてもってのほかだったのです。
しかし、12月の冬至明けのお祭りは「太陽が力を取り戻していく」ということで、ローマにいるあらゆる民族がお祝いをしていました。いわば、このお祝いのどさくさに紛れて、キリストの生誕を祝ってしまえ、ということで12月25日に祝うようになった、というのです。
その後、キリスト教が認められ、広まっていくにつれ、人々が原始的に祝っていたお祭り・お祝いが徐々にキリスト教化されていった、といわれています。
そしていまや世界の多くの地域で、民族も宗教も問わずに祝われる日となりました。
しかし、世界の誰もが華やかにこの日を祝っているわけではありません。
先日、「ベストヒットUSA」にStingが出演していました。彼のコメントが印象に残っています。
「クリスマスは誰もが幸せな訳じゃない、疎外感を感じたりもするものなんだ」。
冬のお祭りというせいもあってか、クリスマスには華やぎの中にメランコリーが混じっているように感じます。また、貧しさや迫害、避難などで幸せな気分になどなれない、という人も多いと思います。
でも、「神の子」はお城や宮殿の中で生まれたのではなくて、貧しい馬屋で生まれ、家畜のえさを入れる飼い葉桶に寝かされたのです。
貧しい人や辛い思いをしている人の一番近くに神様はいる、というメッセージなんだと思います。旧約聖書に預言された救い主は「インマヌエル」=「ともにいる神」という名です。苦しみは神様が傍にいてわかち合ってくれている、支えてくれている、って、思えたら少しは心が楽になるんじゃないかと思うのです。
辛い状況にいて、クリスマスを心からお祝いできない人達も、日々の生活の中でのほんの小さなことでもいいから幸せを見つけ、希望をつないでいられる日であるように、と心から祈ります。
皆さんと、多くの人達が幸せなクリスマスを過ごせますように。
Resonet in laudibus, cum jucundis plausibus,
Sion cum fidelibus.
Apparuit, apparuit. Quem genuit Maria.
(願わくは 賛美が喜びの拍手とともに
シオンと信徒のうちに響き渡りますように
マリアがお生みになった方が現れたのです)
よいクリスマスを!
いやぁ、今回の記事は勉強させていただきました。
(「いやぁ」が意味不明ですが、景気付けで・・・)
特にイベントは計画していませんが、
家族が健康でいられたことを喜びたいと思います。
そして、
ひとりでも多くの人たちが幸福でいられますように・・・と。
by kazn (2009-12-23 11:43)
この時期、欧米に旅行すると、お店もレストランもお休みですよね!!
信者の人達にとっては、クリスマスは家族でお家で過ごすからなんですよね~
何でもお祭り騒ぎにしたがる日本人とは大違いですね!
by miko (2009-12-23 20:57)
~コメント、nice!ありがとうございました~
(最近記事書きっぱなしでご訪問できてなくスミマセン)
●kaznさん、
景気づけの「いやぁ」もいただき、ありがとうございました(^^。
ちょっと、宗教チックな記事になってしまいましたね…。
家族という一番身近な世界こそ大事だと思います。きっと素敵な時間を過ごされたのでしょうね。
●mikoさん、
そうですね、どこもかしこも悲しいくらいクローズで…(^^;。
クリスマス&イースターは要注意です。
欧米でも宗教には頓着しない人が増えていて、クリスマスは家族で過ごすイベントの一つ、という認識みたいです。
多くの人が幸せを感じられるように、と思える日になるといいですね。
by pawpaw (2009-12-26 15:54)